やっぱり僕にとっても、孤独になることは怖いことなんだなと、前回のブログ記事を書いてて思った。
思ったというか、それに気づいた。
友達がいなかった頃、特に中3〜高校1年次の頃
友達がいたほうが色んなメリットがあるのは分かってたけど、
友達がいないことに慣れてきちゃってて、
別に一人ぼっちになっても大丈夫だとは思ってた。
けどそれは「(本当の)一人ぼっちになっても大丈夫」じゃなくて「友達がいなくても他の人(家族含む)との付き合いがあるから大丈夫」だったのかもね
本当の一人ぼっちに、本当に孤独になってしまったら、自分はどんな行動をするんだろう。
僕は、悩みを誰にも打ち明けることができず、助けを求めることもできず、一人ぼっちのまま、心の病で死んでしまうのかもしれない
その可能性は充分にありそう
現時点でもいまだにコミュ障だし、(宛てのない旅してみたいとは思いつつも)インドア派だし、面倒くさがり屋だし、朝に弱いし、ちゃんと働けるかどうかも分からないし・・・
確かに自分の未来がどうなってるのかは分からないよ、うん
けどやっぱり、その可能性はないわけじゃないと思うんだよな
生きているときに何が出来るか、
時間があるときに何が出来るか、
余裕があるときに何が出来るか、
人との付き合い、人とのつながりがあるときに何が出来るか
何が出来るか・・・
自分を変えるしか無いのは中2のときから既に分かってる
けど、余裕があるときに、人とのつながりがあるときに変えておかないと、避けようがない道(死)に自ら進んでいってしまうかもしれない気がするんだよな・・・
実は、高校1年次くらいからだったかな?
そのくらいから、「友達をやめたいというのであれば、やめてもいい、離れていってもいい。それは自由だから、止めはしない。」と思ってる、そういう考えを持ってるし、ツイッターとかのネット上でもそうなんだけど、
でもやっぱり、友達が友達でなくなるというのは、友達が友達でなくなった日には、凄く落ち込む。
ツイッターで僕がフォローしてる人にブロックされた時以上に。
だからって、本当は「(できれば)ずっと友達でいてほしい」と願ってるわけじゃない
・・・
・・・いや、本心は、そう、「(できれば)ずっと友達でいてほしい」なんだよね
依存することはしないようにしているつもりなんだけど、やっぱり依存しそうな感じになってる。
負担かけさせちゃいけないって思ってるのに。
難しいよね
友達って、どういう関係が最も良いんだろうね
正解がないのは、分かってるんだけどね
友達って、どういう関係が友達なんだろう
友達の定義って、凄く曖昧で、人によって違うものなんだよね
自分の「こうしてほしい」とかを通したいと思いつつも、相手のことを気遣うあまり、「できれば」や「どちらでもいい」や「どれでもいい」を多用してしまうことがある。
家族に対しても。
良いのかどうか分からないから、そのたびに確認する事もある。
自宅でも家族に対しても。
「どちらでもいい」や「どれでもいい」は、そうでなくとも使うときあるんだけどね。
選ぶのが面倒くさい時とか。
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