情報を伝えるって、生きていく上で大事だよね
相談をするときにも、
意見を出すときにも、
批判をするときにも・・・
情報を相手が受け取ることができるように、
口や手*1や機械*2などを使った方法で、自分の中にある情報を、自分の外に出している。
では、自分の中にある情報・・・
例えば「自分はこういう人」、という情報を自分の外に出さずに
ある人と、職場の同僚として、あるいは部活の部員として付き合っていったら、どうなるんだろう・・・
人にもよるかもしれないけど、勘違いが起こりやすかったり、喧嘩しやすかったり
多分、そうなるリスクが高いんじゃないかなと思う。
人は見かけによらずだけど、
それでも(例えばBが)何かを判断する際に、Aから「Aはこういう人」という情報を受け取ってなければ、Bの中のAの印象、イメージや過去に受け取ったCからの(Aに関する)情報の一部などで埋めなければならない時がでてきてしまうことがある。*3
その情報を用いての判断が正確な時もあるだろうけど、結果的にそうでなかったとしたら、
それが、あまり好ましくないことの原因になったりするかもしれない。
そうならないように、AがBに「Aはこういう人」という情報を渡せば、そうなってしまうリスクは低くなる(と思う)*4
ん・・・
どう伝えるか、どういう言葉を使うかも、もちろん重要になってくるだろうね・・・
言葉足らずな感じになっちゃうと、更に勘違いさせてしまうことにもなりかねない・・・
んー・・・・・・
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先週、部活内で僕の提案で、改めて長い自己紹介をした。
「改めて」でいいのかは分かんないけど、「自分はどんな人なのか」ということは話していなかったはず。
部活入ったばかりの頃に自己紹介したと思うんだけど、その時は名前だけだったはず。
因みに先程言った”提案”というのは「(ホワイトボードに書きだされた)『理解する努力』に関してなんだけど、改めて長い自己紹介をしてみてもいいんじゃないかと思う」*5なんだけど、
「どんな人であるかを知り、理解すれば、ぶつかってしまったり、勘違いが原因で何かが起こってしまったりするリスクは低くなるんじゃないか」っていうのが理由
何故「長い自己紹介」なのかというのは、「短い自己紹介で終わらせてしまう人もいそうな気がしたから」というのと、「自分がどんな人かをできるだけ多く言ってもらえば、少しでもリスクを低くすることができるかもしれない」というのが理由。
ほんとは学年とか名前とかはどうでもよく、「自分はどんな人なのか」だけ話してくれればよかったんだけど、なんか学年と年齢と名前も言う必要があるような感じになっちゃって、その後「まぁ・・・いっか」
ってなって僕も学年と年齢と名前を言ったあと自己紹介した
・・・んだけど、今思えば、言葉足らずなとこもあったなと・・・思う・・・(;´・ω・`)
こう・・・長い文章を脳内で作りながら話すってのは苦手だからな・・・短い文章ならまだしも・・・
長い文章ほど、書いてくうちに既に書いた部分に穴が空いていって穴だらけになってしまう原稿用紙みたいな、そんな感じになる。こんな例えで正確に伝わってるか分かんないけども。
だから個人的には、長い文章として外に出すときには、口で話すよりブログとかツイッターとかみたいなものに書くのがよかったり。
「やっぱり、自己紹介って大事だね」と、この記事書いてて思った_(:3 」∠ )_
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