タイトル決まらなかったから、とりあえず無題で_(:3 」∠ )_
先月、学校側が、中国へ旅行してくれる生徒を募集してて
中国行きたいと思ってたけど、
色々あって結局中国へは行かなかったんだよね
特にエボラ出血熱が流行することがなければ、どうにかして親を説得するつもりだったんだけど、
エボラ出血熱のことで不安になって最後まで迷い続けて、結局行かなかった
百聞は一見に如かず
行ってみなきゃ分からない
実際に行けば、行かなかったら知らなかった事を知ることができるかもしれない。
ネット上に中国の人たち全員の考えや意見などが書かれているわけではない
新聞や本やネット上に書かれていることだとか、テレビで放送されているものだとかにある情報全てが、自分たちにとっての「中国に関する知識」の全てであってはならないと思う。
偏見や思い込みをなくすためにも、行ってみることは必要だと思う
中国に限らず。
だから、殺されたりしてもいいから、「知ること」を一番に優先したかった
それでもやっぱり、死ぬことは怖かった
来年こそ、中国へ行けたらいいなと思う。
その頃もエボラ出血熱は流行しているんだろうか
そこは少し不安ではあるけども。
行動することは本当に面倒くさいよ
けどね、知るためには行動するしかない。
ネット上には沢山の情報がある
けども、実際に行ってみなければ知ることのできない情報も、きっとあるんだよね。
嫌いだから行かないというのは、分かる気はする
けども、本当に「行かない」でいいのだろうか。
嫌いならば、その嫌いなものに関する知識は「嫌い」と言うためだけに存在するものになってしまうのではないか
そこが心配なんだよ
その知識は「意見を出す」「中立的に考える」などのために存在するものであってほしいと思う
自分の中から「嫌い」をなくそうと言ってるわけじゃない
嫌いなら嫌いでいい
けども、「こうだから嫌い」じゃなくて「こうだから嫌いなんだけど、これをこうすることができたら、こういう理由で嫌いな人は減るんじゃないかな」といったような感じで、
嫌いであっても自分の知識をちゃんと使って提案したりすることができたらいいなって思う。
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